JDK 情断会 
MWV昭和50年度卒同期会
  2011/6/11〜12  初夏ワンデルング
宮澤、原田、小川、高島、小田野(留守番)
白砂山

情断会初夏W 〜 正部員養成思い出の白砂山を訪ねて (原田

 例によって「八羽」で飲んでいる間に今回の計画は動き出した。「正部員で行った白砂に行こうよ」という原田の提案に反対の声は無く、今年の情断会初夏Wは白砂山に決定。企画は当然言い出しっぺの原田である。参加者はいつもの小田野、高島、宮沢、小川そして原田の五人。

 白砂山はルートのバリエーションがあるわけでもなく、共同装備もいつもの通りなので事前の打合せはもっぱら「メシはどうする。晩飯のメニューは何だ」「酒は何を持っていくんだ」と食べることと飲むことである。ま、それが情断会の結束の源でもあるのだが…。

 そしていよいよ当日の六月十一日(土)。雨の中を高崎線の「桶川」に集合。原田の車で圏央道経由、関越自車道「渋川伊香保IC」をめざす。千円高速の終了が近いせいか悪天候にもかかわらず交通量は多い。出発して約一時間で「渋川伊香保IC」に到着したが白砂山登山のベースとなる野反湖はここからがやたら遠い。行きは中之条から暮坂峠を経由して行ったがたっぷり二時間かかった。

ほぼ予定通りの十一時に野反湖キャンプ場に到着したがまだ雨は上がらない。晴れ男の原田の神通力もここまでかと思ったが、テントを張って昼飯を食べている間に空が明るくなってきたので、本日の予定であるエビ山、高沢山、三壁山周遊コースに出発。ちなみに小田野は膝の故障の為、キーパーとして居残りである。

歩いている間に徐々に雲が切れ、振り返れば野反湖がきれいに見えるようになった。やはり原田は晴れ男である。予定では高沢山からカモシカ平をピストンする予定であったが、出発が遅く時間がおしていたので(本当は早くロッジに下りて冷たいビールを飲みたかったのであるが)上からのぞいただけで先を急ぐ。三壁山を通過してサイト地に戻ったのは四時頃、当然小田野が晩飯の用意をしているのかと思ったが彼はただ酒臭いだけであった。しかし彼の名誉のために言っておけば食事の用意で一番活躍したのは小田野であった。湖の見えるキャンプ場のテーブルで旨いすき焼きの晩飯を食べた後は恒例のウノ大会をして早めに就寝。

翌朝はヨンロク。薄暗いうちから起き出して行動開始。今日もキーパー役の小田野を残して四人で出発。小田野が不在の為、四年前の十勝岳でペースが速すぎるとしてコースリーダーを解任され、長くナンバー2に甘んじていた原田が今回のコースリーダーである。今回は標準タイムより若干速いくらいのペースで特に苦情もないはずであったが、暫くして後ろからブーイングの声。何かと思ったら一本の間隔が長いとの事であった。が、年に何度か一緒に山に行っているメンバーの事、快調に歩を進めていく。地蔵山から堂岩山にかけては樹林帯という事もあってところどころ道に雪が残っていた。堂岩山を下って八間山の分岐まで来ると笹原に変わり進行方向には遥かに上越国境の稜線が見渡せ、北には佐武流山から苗場山が見える。ここからは正部員養成で歩いたコースであるが、三十八年前の現役時代の記憶はほとんどない。稜線はべつに険しいわけではないが、小さなピークもほとんど巻くことなく登り下りするので結構きつい。最後の胸突き八丁を登りきった山頂は、大勢のパーティーが来たら一杯になってしまうくらいの広さでる。正部員養成の時は上ノ間山方面から踏み跡があったと記憶しているが今では一面笹に覆われていて歩く人はいないようである。山頂でひと時ノスタルジーに浸ったあとは来た道を戻る。白砂山はマイナーな山との感覚でいたが、結構登山者が多い。我々より五才から十才位年上ではないかと思われるパーティー何組かとすれ違ったが、ついぞ山ガールにはお目にかかれなかった。

帰りはお決まりの温泉。途中の道の駅隣接の応徳温泉「くつろぎの湯で」汗を流し、話題の八ツ場ダム建設予定地を見ながら帰途についた。

次回は小川の企画による北アルプスである。北アルプスなら山ガールに会えるかな?!

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